2012年3月24日
申 入 書
自衛隊のイラク派兵について、アメリカ軍の作戦の一環としてアメリカ軍の兵員・物資を空輸したことがイラクの社会全体に・イラクの民衆にどのような影響を与えたかきちんと検証してください。
航空自衛隊小牧基地司令 荒木淳一様
航空自衛隊小牧基地隊員・家族の皆様
2月20日、河村たかし名古屋市長が南京市の共産党市委員会常務委員ら一行に対して「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と述べたことが名古屋市と南京市および中国との間にさまざまな障碍を引き起こしています。
74年前の南京大虐殺は日本の侵略戦争の最も象徴的な残虐行為と位置づけている中国では、“南京大虐殺”は動かしがたい事実として、一様に心に刻みつけています。
アジア太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲、そして広島と長崎にそれぞれ違った二種類の原爆を実験するかのごとく投下爆発させたあの惨状について被害者・遺族は決して忘れはしないでしょう。もし、アメリカの大都市の市長が「広島や長崎の原爆投下はなかったのではないか」と発言したとしたら、広島や長崎の市民そして日本人は「なにをたわけたことを言っているのか、生き証人もおり、広島と長崎に来てものを言え」などと怒ることでしょう。
南京大虐殺のあった南京には生き証人はもちろん、その遺族もいます。南京攻略戦とその後の掃討作戦に参加した日本軍の元兵士もおり、彼らの残した陣中日記もあります。74年も前のことについての河村名古屋市長の発言は現在の問題として浮かび上がってきています。
秀吉の文禄慶長の役・朝鮮出兵について、韓国では日本の水軍を打ち破った李舜臣将軍の銅像が首都ソウルの中心地に、日本に向かって建てられています。
秀吉の朝鮮出兵にしても、日清戦争以降の日本と中国との事変・戦争にしても日本軍が他国に攻め込んだのであり、韓国や中国が日本本土に攻め込んだわけではありません。かの国は一歩たりともわが国に軍靴で踏み込んでいません。戦場は朝鮮半島であり、中国大陸です。
侵略された側の民衆は記憶に留め、歴史に刻んでいます。
イラクを一方的に攻撃し、イラク石油省とフセイン大統領宮殿を除く省庁の建物を真っ先に破壊し国家の機能を麻痺させ、上下水道をはじめとする多くの社会基盤を破壊し、多くの人々を死傷させたアメリカ軍の侵略について、イラクの人々は決して忘れることはないでしょう。日本の陸上自衛隊と航空自衛隊がいかなることをやったのか、それを目にしたイラクの人々は記憶に留め、少なからずの人々が調査し記録していることでしょう。
毎日新聞は、『海外難民救援キャンペーン ゼロからの出発 南スーダンから』を連載し、3月22日は「命奪う不衛生な水」、21日は「豊かな大地に地雷」、20日は「薬物で現実逃避」、19日は「傷治し復讐に」、キャンペーン初日の18日は「武力衝突再び 国境のキャンプ 未来語れぬ少女」と南スーダンの社会の問題点を浮き上がらせています。
日本政府が南スーダンへの自衛隊派兵・舗装道路建設は南スーダン政府への見える貢献ですが、それは南スーダンの人々が今求めているものなのでしょうか。18日の記事には「戦災、病魔、栄養失調。国連のまとめによると、南スーダンでは、7人に1人の子供が5歳の誕生日を迎えることができない。」とあります。
秀吉の朝鮮出兵の後始末について、徳川家康は、朝鮮国からの回答兼刷還使を招き、さらわれてきた朝鮮の人々を送り帰し、その後は朝鮮通信使一行を将軍の代替わりになどに迎え、善隣友好を進めるという手はずを整えました。戦後処理のひとつの見本です。この朝鮮出兵は“人さらい戦争”、“焼き物戦争”とも呼ばれています。
朝鮮国は江戸時代を通じて、日本に用心はするものの、日本に報復戦争を仕掛けてきませんでした。
中国も、日本による侵略によって2000万人の犠牲者を出し、国土を荒らされたにもかかわらず、蒋介石国民党政府も、中国共産党政府も報復(戦争)を仕掛けるどころか、政府として戦争賠償請求権を放棄し、日本に経済的負担を求めることはありませんでした。「怨報以徳」(蒋介石)であり、「前事不忘、後事之師」(周恩来)がその心でしょう。
21世紀に入ってなお、「イラクには大量破壊兵器がある」、「フセイン大統領とアルカイダとは関係がある」とのうそ情報で戦争を仕掛けたアメリカの戦争指導者たちとは精神構造に質的差異があるようです。
イラクのアメリカ軍にいかに貢献したかとの観点で自衛隊・日本政府がイラク派兵を評価しているならば、また次の機会に自衛隊員が窮地に立たされます。イラク特措法の下、自衛隊が派兵され、イラクで行なったことの負の面をも見据えた検証を行なってください。徳川家康がやったように、“禍転じて福と為す”ことができる、将来を見据えた検証をしてください。
<ノーモア南京>名古屋の会 事務局
社民党愛知県連合 平山良平
西尾市高畠町4-75-3