2009年11月28日


航空自衛隊小牧基地がイラク派兵の検証作業を

航空自衛隊小牧基地司令 谷井修平様
航空自衛隊小牧基地隊員・家族の皆様

毎日新聞(11月25日付)は報じています。『イラク戦争「公正で徹底的報告書」英調査委が来年末までに』と。
「イラク戦争参戦の経緯など英国の同戦争への関与を包括的に検証する『イラク調査委員会』の公聴会が24日、ロンドンで始まった。ジョン・チルコット委員長(元官僚)は冒頭、『イラクへの関与から教訓を学ぶ』ために『徹底的かつ客観的で公正な』報告書を来年度末までにまとめる方針を示した。」とあります。
2004年以降、名古屋の市民運動団体の毎月第4土曜日午前10時から小牧基地への申し入れ行動に参加する中で、私は2006年3月25日の「航空自衛隊のイラクからの撤退を求める申し入れ書」を嚆矢として、きょうまで45ヶ月連続して申し入れ書を認めて来ております。2008年11月までは「航空自衛隊のイラクからの即時撤退を求める申入書」であり、撤退が確定した翌12月20日は「撤退に際しての申入書」、翌2009年1月には「『イラクでの空輸任務の検証』についての申入書」を書きました。以後、航空自衛隊のイラクでの空輸任務の検証を求めた申入書は、2月28日付、6月27日付、9月26日付で、10月24日は「空自の『イラク復興支援』とは何をやったのですか」と題する申入書を読み上げました。
アメリカ・イギリス軍による2003年3月20日のイラク攻撃開始の根拠は「イラクには大量破壊兵器がある」、「フセイン大統領とアルカイダとは関係がある」というものでした。当時のアメリカのブッシュ大統領が言い出し、同盟国イギリスのブレア首相が乗り、小泉首相はその理由を鵜呑みにし、イラク攻撃を国際的にも真っ先に支持を表明しました。
私たちは、イラク攻撃以前には、アメリカが攻撃しないように、攻撃開始後には、攻撃やめよと戦争反対を訴え、さらに自衛隊がイラクへ派兵されようとしたときにはイラク派兵反対の集会・デモをやってきました。
最大の攻撃理由であった「大量破壊兵器」はなく、フセイン大統領とアルカイダとの関係も全くありませんでした。
2009年5月13日付の中日新聞で谷井小牧基地司令は「イラク復興支援をトラブルなく完了したとの自負もあり、」などと述べていました。
先の総選挙で民主党政権に変わり、イラクでの空自の活動を記録した、「週間空輸実績」が開示され、航空自衛隊のイラクでの活動の大部分が、アメリカ軍の兵員を空輸するという後方支援であり、実質的な参戦であったことが明らかとなりました。
だからこそ、谷井小牧基地司令の「イラク復興支援をトラブルなく完了したとの自負もあり、」が問われているのです。アメリカ軍の兵員輸送がどうしてイラク復興支援なのか。
現在の予定では、2011年末までにイラクからアメリカ軍が全面撤退することになっていますが、アフガニスタンからもアメリア軍が前面撤退する破目になるでしょう。2001年にアメリカ・ブッシュ大統領が始めたアフガニスタンへの「対テロ戦争」の根拠も、イラク攻撃と同様、正当な根拠が無いからです。
ビジネスのように、ビジネスチャンスを作るように、理由を作り上げ軍事攻撃をしてきたブッシュ大統領の8年間でした。オバマ大統領になった今も続いています。一方的に被害を受け続けたアフガニスタンとイラクの人々がおり、派兵され戦場に投入されたアメリカ軍兵士がおり、戦争をビジネスチャンスとばかり参入した民間軍事会社もあります。「正義のかけらさえ無い戦争」だからこそアメリカ政府によってアフガニスタン攻撃、イラク攻撃の検証を行なわなければならないのです。
航空自衛隊のイラクでの活動について、「少なくとも多国籍軍の武装した兵員をバクダッドへ空輸するものについては、イラク特措法2条2項、同条3項に違反し、憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる」と名古屋高裁は判決し、確定しました。
イギリス政府の「イラク検証委員会」は、2001年からイラクからイギリス軍が撤退した2009年まで調査対象期間として検証するという。
冒頭の新聞記事の末尾に、「英国はイラク開戦で約4万5000人の兵力を投入し、今年の撤退までに179人の死者を出した。」とあります。
勝手な理由をつけイラクを攻撃し、占領しているアメリカ軍の支援に自衛隊を海外派兵したことは、自衛隊と日本の歴史にとって誤りであり、この検証がなされないことは過ちを繰り返すことになるだけです。
後は、日本政府と自衛隊の誰がやるかだけです。 
<ノーモア南京>名古屋の会 事務局 
              社民党愛知県連合副代表   平山良平  
              住所 西尾市高畠町4-75-3