2009年7月25日


イラクの都市部からアメリカ軍が撤退しました
航空自衛隊小牧基地司令 谷井修平様
航空自衛隊小牧基地隊員・家族の皆様

撤退予定のとおり先月末(2009年6月末)までにイラクの都市部からのアメリカ軍が撤退したという。イラク攻撃から6年3ヶ月です。完全撤退は2011年末といい、あと2年半です。都市でのアメリカ軍兵士による殺傷もなくなることでしょう。アメリカ軍の撤退こそがアメリカ軍兵士を守ることにもなります。 
最近の新聞報道に、「重傷米兵 脳損傷52%にも イラクなど戦闘激化背景に」との見出しで「脳損傷センターによると、イラク戦争開戦直前の03年1月からこれまでに、両戦地で爆弾攻撃などを受け、同病院で治療を受けた米兵の52%が外傷性脳損傷(TBI)と診断された。同センターが毎日新聞の取材に明らかにした資料によると、昨年12月末時点での診断数は1万数千人以上とみられる。TBIと診断される帰還兵の9割以上が、頭部に目に見える外傷のないタイプ。手製爆弾攻撃などで超音速の爆風に伴う衝撃波(圧力変化の波)を受け、脳細胞が損傷されるのが原因とされる。」とあります。
「英軍の死者、184人に イラク戦争超える」との見出しで「アフガニスタン南部へルマンド州でタリバン掃討作戦を展開する英軍の死者が10日、イラク戦争の死者179人を超えて184人に達した。死傷者が目立って増え、英政府の支援体制に批判が強まる中、ブラウン首相は『困難だが、アフガンへの関与は完遂しなければならない』と国民に理解を求めた。英国防省は同日、兵士8人の死亡を発表。うち5人は同日朝、徒歩でパトロール中に爆弾攻撃に巻き込まれた。英兵士が1度に5人死亡したのは、01年のアフガン侵攻後、最悪という。今月に入っての死者はすでに15人で、月間で過去最悪だった06年9月の19人に迫っている。英軍は米軍と歩調を合わせ、8月に予定されるアフガン大統領選に向けた治安確保のために900人増派し、約9000人態勢で攻勢を強めている。これに対し、タリバン側も手製爆弾(IED=即席爆破装置)などで反撃を強め、犠牲者が増えている模様だ。」とそれぞれ毎日新聞が報じています。
ブッシュ大統領の始めた「対テロ戦争」と「イラク攻撃」によって従軍したアメリカ軍兵士、イギリス人兵士が手製爆弾によって反撃されて死傷し、脳損傷を受けているという記事です。
「対テロ戦争」の理由とされた2001年9月11日のニューヨークの世界貿易センタービルの飛行機激突・ビル崩壊事件にアフガニスタンの国民は関係しておらず、2003年3月20日の「イラク攻撃」も米英の一方的な攻撃で、その理由は「イラクには大量破壊兵器がある」、「フセイン大統領とアルカイダとは関係がある」というもので、この攻撃理由は二つとも根拠がないことをブッシュ大統領自身が後日認めました。 
一方的に軍事攻撃にさらされたアフガニスタンの人々やイラクの軍民はその強力な軍事力によって圧倒されていましたが、侵略軍の占領に対してはどの国民も民族も抵抗闘争・レジスタンスをするという歴史どおり、イラクや、アフガニスタンでも抵抗闘争は行なわれています。真正面からの銃撃戦ではなく、新聞記事にあるような手製爆弾による反撃です。占領が続く限りこの手製爆弾による反撃は続くことでしょう。
この二つの「戦争」に、日本政府は海上自衛隊の護衛艦と給油艦をインド洋北部のアラビア海に派遣し、イラクには陸上自衛隊と航空自衛隊を派遣しました。空自のC130H輸送機3機が武装した多国籍軍兵士を輸送したことについて、「他国の武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったと評価を受けざるを得ない行動であるということができる。」とし派遣の根拠法であるイラク特措法2条2項、2条3項に違反し、かつ憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる、と名古屋高等裁判所は判決で示しました。
兵士に出動命令を出したアメリカ大統領はたとえイラクに行ったとしても即日、即刻イラクを離れ、命令された兵士は任務終了まで戦地に駐留し、しばしば手製爆弾による反撃を受けています。兵士こそ哀れです。
イラクへの空自派遣は「戦地派遣」、派兵でした。海外派兵をやめさせるよう私たちは行動します。航空自衛隊小牧基地の隊員の皆様も心してくださるよう求めます。 
イラクやアフガニスタンの人々の声が聞こえるでしょうか。脳損傷を受けたアメリカ兵・イギリス兵の痛みをわかりたいと思います。

<ノーモア南京>名古屋の会 事務局 
              社民党愛知県連合副代表   平山良平  
              住所 西尾市高畠町4-75-3