2008年7月26日
航空自衛隊のイラクからの撤退を求める申入書
航空自衛隊小牧基地司令 石野次男様
航空自衛隊小牧基地隊員・家族の皆様
7月18日ホワイトハウスは、イラクのマリキ首相とブッシュ大統領はテレビを通じての会談で、イラク駐留のアメリカ軍部隊の削減と撤退を明示する計画表を作ることで合意したという。
織田信長が本能寺の変での死後、明智光秀を討って天下をとった豊臣秀吉は遂には朝鮮国そして明国まで征服しようとの野望を持ち、二度の朝鮮出兵を全国の武将に命じました。文禄、慶長の役と呼ばれ、秀吉に命ぜられ、九州名護屋から朝鮮国に攻め込んだ武将とその配下の者たちは帰還の折、朝鮮人とりわけ陶工を拉致してきました。九州の有田焼や薩摩焼などの始まりです。文禄慶長の役が「焼き物戦争」、「人さらい戦争」とも言われる所以です。
有力な武将の中にあって朝鮮出兵に赴かなかったのが、徳川家康です。
秀吉の死とともに朝鮮国からの撤退が始まり、秀吉の死後、政治をとった家康は、後に石田光成を中心とする反徳川の西軍を関ヶ原の戦いで破り、大阪冬の陣、夏の陣で豊臣方の勢力を滅ぼし、1603年江戸幕府を開き、戦国時代に終止符を打った。治世者として家康は、秀吉が起こした朝鮮出兵の後始末をつけました。朝鮮国との交易を担っていた対馬の宗家に朝鮮国との和解交渉の手筈を命じ、朝鮮国から松雲大師を招き、拉致してきた朝鮮国の人民を一緒に帰国させ、信を得て、1607年、回答兼刷還使を朝鮮国から迎え、1811年まで江戸幕府は都合12回の朝鮮通信使を迎えました。
江戸時代を通じて国内外の戦争を防止する政策をとりました。参勤交代の制度は、大名たちにとっては大きな出費であり、戦争の準備どころではないが、従者たちにとっては道中や江戸での見物は文化交流事業そのものでした。箱根の関の「入り鉄砲に出女」の詮議は厳しいものがあったようです。戦の抑止の政策によって日本に260年の泰平の時代が出現しました。
しかし、明治、大正、昭和20年までの80年は、江戸時代とは反対に、富国強兵と侵略の歴史でした。朝鮮国への侵略の第一歩であった日本の軍艦雲揚号による江華島事件から、日清戦争、日露戦争から満州事変、盧溝橋事件から日中全面戦争、そして太平洋戦争に突入し、今度は攻守が代わり、アメリカ空軍機による都市への無差別爆撃、広島・長崎への原爆投下は日本の敗戦を決定づけました。朝鮮半島、台湾などの“領土”は全て放棄させられました。
莫大な国家予算を費やし、陸、海、空の軍備をそろえ国民を総動員した戦争、得たもの、失ったものは何だったのでしょうか。日本人及び被侵略国の死者の失われた人生は、フィルムを逆転するようには決して元にもどりません。太平洋戦争を始めてからの将兵の死因は、過半数が餓死という。食糧の補給もなく戦闘を強いられた兵士たちも哀れです。「生きて虜囚の辱めを受けず」と兵士に死を説いた戦陣訓、作った東条英機は生きてアメリカ軍につかまりました。北のアッツ島から南の島まで、玉砕で死んでいったのは兵士だけではありませんでした。
国内外の戦争を抑止した江戸時代から学ぶべきことはないのでしょうか。
日本の非核三原則、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」は、箱根の関の「入り鉄砲と出女」と発想が同じではないでしょうか。江戸時代を通じて、刀や弓を武術として奨励しても、(鉄)砲術を奨励することはほとんどなく、簡単に人を殺傷できる鉄砲は、“飛び道具とは卑怯なり”のものでした。鉄砲伝来から関ヶ原の合戦までは鉄砲が生産され多用されたが、江戸時代260年間はすぐれて軍縮の時代でした。
戦後63年間、憲法とは裏腹に、陸、海、空の実質上の戦力は戦前をはるかに上回り、自衛隊は直接の戦闘こそ避けてはいますが、現在、武装した兵員輸送を他国の軍隊に対し行なっており、憲法9条1項違反と裁判所から指摘されています。3ヶ月前4月17日の名古屋高等裁判所の、イラクで航空自衛隊が武装したアメリカ軍兵士を輸送していることについての憲法判断です。箱根の関で言えば、“入り鉄砲”にあたります。これを容認しておれば、航空自衛隊員のみならず、日本全体が重大な事態に陥るという判断です。
民族には特有の記憶があります。400年前の秀吉の朝鮮出兵、かの国の人は「壬辰倭乱(イムジンウェラン)」、「丁酉再乱(チョンユヂェラン)」といい、忘れていません。家康と江戸幕府の後始末かつ友好のシンボルである朝鮮通信使の招聘の歴史をご破算にしたのが明治政府、日本とイラクそしてアラブとの友好を決定的に破壊した陸自のサマーワ派兵・空自のバクダッドへアメリカ兵員空輸を命令した小泉・安倍・福田政権(日本政府)、この後始末にこの先、どれだけのことをしなければならないのでしょうか。私たちがそうであるように、かの国も400年前の記憶があります。
目先の利益や茶碗や野望が引き起こしたことを思い起こしたい。
63年前、命令一下、命を投げ捨てて突っ込んでいった時代もあったけれど、もはや今の時代はそうでもなかろうと、思います。しかし、記者の入国も、取材できないバクダッド、C130輸送機の輸送実態が見えてこない情報遮断のイラクだからこそ、さあ、もどれ空自よ、日本の空へ。 帰りなんいさ。
四百年 ついこの前と 語りびと 薩摩茶碗を 手にいただきて
<ノーモア南京>名古屋の会 事務局
社民党愛知県連合副代表 平山良平
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