2009年2月28日


航空自衛隊イラク撤収部隊の帰還に際しての申入書

航空自衛隊小牧基地司令 石野次男様
航空自衛隊小牧基地隊員・家族の皆様

2月16日の毎日新聞朝刊は、「任務完遂 イラク撤収部隊小牧で帰国報告 08年12月に終了した航空自衛隊のイラク復興支援派遣活動の残務処理が完了し帰国した撤収部隊の報告会が15日、愛知県小牧市の小牧基地であった。寒河江勇美隊指令(1佐)が『5年間の成果をけがさないよう、関係国との友好を第一に考え作業を完遂できた』と報告し隊旗を返還した。撤収部隊の帰国により、イラク復興特別措置法に基づいて5年間続いたイラク派遣はすべて終了した。・・・」と報道しています。
寒河江隊司令の『5年間の成果をけがさないよう』にとのイラクでの空自の活動について、「成果」と評価することについて、その5年間に渡って空自のイラク派兵に反対し、イラクからの撤退を求め続けた者として以下のように述べます。
日本には、「我が身をつねって他人の痛みを知れ」という格言があります。「イラクには大量破壊兵器がある」との理由でイラクはアメリカ軍から一方的に攻撃を受け、一方的に攻撃を加えたアメリカ軍の輸送任務の一端を担ったのが航空自衛隊です。あらぬ理由で以って一方的に攻撃を受けたイラクの立場に、日本が立たされたならば、どうでしょうか。つねられた痛みとは桁ちがいの「痛み」を強いられたイラクの人びとの痛みは想像力でしか知ることはできません。
一方的に攻撃を受けたイラクの人々はアメリカ軍や航空自衛隊をいかなる視線で見つめているのでしょうか。
イラクのクウェート侵略によって始められた湾岸戦争とは異なって、このアメリカ・イギリスのイラク攻撃を、例えばフランスも中国もロシアも、そしてドイツも最後まで支持しなかったし、もちろん参戦することはありませんでした。世界190余カ国のなかでアメリカ・イギリスのイラク攻撃を支持し、参戦した国は少数でした。
航空自衛隊のイラクでの空輸活動を「成果」と評価してよいものでしょうか。対アメリカ軍との関係だけで評価すれば、航空自衛隊はアメリカ軍に大いに貢献したことには違いありませんが、対アメリカという視点だけで評価して、済ませることができるのでしょうか。
バクダッド空港での離発着でらせん状飛行、やミサイル被弾防止フレアの放出など危機回避飛行をせざるを得ないことがアメリカ軍への貢献の反作用としてありました。
「他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力行使を行ったと評価を受けざるを得ない行動である(名古屋高裁08.4.17判決)」イラクでの空自の活動がどうして、「イラクにおける人道復興支援活動」でしょうか、「安全確保支援活動」でしょうか。
日本国憲法前文と第9条によって、外国との戦争が抑止された62年間の歴史、自衛隊員が直接の交戦で死傷することがなかった戦後の歴史に終止符を打った空自のイラクでの活動について厳しく見つめ反省する視点を持たなくてもよいのでしょうか。
“粛々と任務を遂行する”という行動規範でアメリカ軍兵士もイラク攻撃に参加したことでしょう。それがどんな結果をイラクの国土とイラクの人びとにもたらしたのか、直接参戦したアメリカ軍兵士にどのようなことをもたらしたのでしょうか。
憲法前文に、「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とあります。アメリカ合衆国憲法にはこのような前文も条文もありません。そして、多くの若いアメリカ軍兵士が死傷しています。

 

イラク撤収部隊の帰還を機に、今一度、航空自衛隊のイラクでの活動を検証してください。

 

<ノーモア南京>名古屋の会 事務局 
              社民党愛知県連合副代表   平山良平  
              住所 西尾市高畠町4-75-3